私の考える天国のイメージについて話してみようと思います。
薬剤師のくせに天国なんて非科学的だと思われるかもしれませんが、私の中には天国が存在しています。
あると思ったほうが、きっといろいろ得します。
でも、みなさんが想像する天国とは少し違うかもしれません。
天国のイメージ
天国と聞くとどんなイメージでしょうか?
明るくて雲の上のようなふわふわとした広い空間に、みんなで楽しく暮らしているような感じでしょうか。
テレビで観たイメージですね。笑
私も同じようなイメージを持っていますけれど、そこで一緒に暮らしている人々は、たぶん私たちの意識が勝手に作り出した妄想です。
私の天国には、もちろん父親も登場します。
たぶん50才くらいの姿です。
しかし父は50才の姿を望んでいるでしょうか?
いえいえ、もっと若い頃の姿でしょう。
だとすると天国に登場する父親は、私の勝手な妄想が作り出した、都合の良い父親ということになります。
おそらく父親には別の天国があって、そこに登場する私は小学生くらいかもしれません。
もし天国がひとつで、だれにも共通の場所だったらどうでしょう。
そこには徳川家康がいて、ペリー提督もいて、卑弥呼もいればクレオパトラもいる。
歴史の混沌ぶり、半端なし。
ちなみに徳川家康は、歴史の教科書に出てくるような晩年のイメージだと思います。
でも徳川家康本人は、晩年の姿を望まないでしょう。
もしかしたら、幼少期の竹千代だったころの姿でいるかもしれません。
服装はみんなそれぞれお気に入りの洋服でしょう。
そしてお気に入りのアイテムを持っているとして、刀を持つ人もいたり、なかにはスマートフォンを持っていく人もいるかもしれませんね。
誰と通信するかはさておき、邪馬台国の人々にスマートフォンを見せてしまって、欲しいと言われたらどうしましょう。
そして神様がいるとして、それはどんな神様でしょう?
日本の神様?キリスト?それとも釈迦でしょうか。
こうやって真面目に考えてみると、どうも天国がひとつだけだとすると都合が悪いようです。
天国はひとりひとりの心の中にある
天国があるとしても、一箇所にみんな集まっているのではなくて、十箇所や二十箇所でもなくて、100人いれば100箇所あると言えます。
なぜならば人それぞれ心の中にあり、現世の私たちにとって天国とは空想の世界であるからです。
だから天国はとても主観的なものだし、自分と関わりのあった人ばかりが、都合よく登場します。
テレビで見たアメリカ大統領も登場しますけれど、きっとテレビで見たままの姿のはずです。
いままでに飼ってきたペットたちも、当然ながら私たちの望む姿で待っています。
天国なんて無いと言う人も多いでしょう。
たしかに、そうです。
有ると言う人にだけ存在して、無いと言う人には存在しない世界です。
ただ、有るとしたら心の中にあります。
天国は無いと言う人も、心が無いとは言わないでしょう。
ちなみに私にはどちらもあるみたいです。
これは知っているでしょうか。
これだけ科学が進化した現代であっても、世界的にみれば信仰を持ち、天国を信じる人が圧倒的に多かったりします。
それは天国という存在が、現世で「より良く、幸せに生きる」ためにとても都合が良いからでしょう。
それに天国があると考えることが出来れば、「なぜ生まれてきて、なんのために生きているのか?」といった、一生かかっても解き明かせないような難問からも開放されるかもしれません。
信仰する特定の宗教はないですけれど、そう思います。
ちなみに私が天国があると思っている(あるといいなと思っている)のは、この世のすべてが楽しく思えてくるし、生きているうちにいろいろ経験しておこう、なんていうモチベーションになるからです。
ついでにいえば、「おてんとさまが見ている」じゃないですけど、自分を律しやすくなる気がします。
感謝の気持ちが増える気がします。
私の犬が高齢でも、心臓の弁がスカスカでも、笑っちゃうほど胆泥が溜まっていても、今日一日いてくれるだけ100点満点。
ありがとうですね。
ということでみなさま、私のくだらない空想に最後まで付き合ってくれたこと、心から感謝申し上げます!